論というほどのものではありません。タイトルのみで結論。『将棋』という世界観、枠がすでにあり、受け手には自明のものとして理解されているという前提の上に、ある限定された状況でそれぞれの駒がどう動くか、その局面をどう打破してゆくのかを突き詰めた思考遊戯が詰将棋です。
二次創作も同様に、受け手に自明のものとして理解されている世界観の中の、ある限定された状況で登場人物たちがどう動き、その局面をどう打破してゆくか、あるいはできないかを突き詰める思考遊戯と言えます。例えば私の『昼と夜とすべてと』は、まさにその「打破できないこと」をそのものを主軸に据えて書きました。(←いちばん気に入っているが多分いちばん嫌わてそうな作)
例えばこういう思考遊戯があります。限定された状況を、任務中に東側に拘束された少佐と伯爵と設定します。拷問と強xを受けた二人はどうなるのか?
こういう設定を英語/仏語でclichéと言いますね。フィクでもよく自虐的に使われます。私もちらっと考えたことがあります(こちら)。ですが、私のようなヘタレは痛いことを考えるのがツラいので、冒頭を書いただけでさっさと退散してしまいます。
一方、たかが二次創作とはいえ優れたフィクの書き手というのは、そこでは終わらなかったりするわけです。終わらなかった場合には、たとえ遊戯であれ表現の試行錯誤には書き手の人格が投影されます。遊戯を越えた思考実験が、書き手という人間を逆にあぶり出すことになります。
来月はその思考実験を二作、ご提示しようと思っています。書き手は陳腐な設定から何が起こるかを突き詰めて考えた。その結果、凄惨な体験と引き換えにしか口にできなかった質問を登場人物の一方は発し、もう一方はたった一言でそれに答えます。結果として、単語にしてたった二語のその一言のためにこのクリシェはフィクとして成立した。読み手としてそのような気がしてなりません。
もうひとつは強xされるという体験の克服。自分の置かれたジェンダーをまじめに考えたことのある女性にとっては、それは他人ごとには成り得ないテーマだと思うのですが(私たちの性は社会的に強xされ続けているという言い方もできます)、書き手はエーベルバッハ少佐という類まれなキャラクターに仮託して、そのことにひとつの解法を与えています。
皆様どうぞお楽しみに。
ご無沙汰してまーす。
返信削除僕はこの考え方に何度救われてきたことか。二次創作やっててよかったなあ。自分で一から考えるよりよほど難しくて自分という一個の人間そのものが滲み出るという意味ではリスキーじゃないのと感じていたのですが、その魔物めいた面白さに虜になり続けています。
どんなものであれ、創作というものには人間がにじみ出ますねー
返信削除私がなぜ伯爵と少佐のリバが好きかというと、話が長くなるのですが(以下略
というわけです。やはり私の人間性がにじみ出ますね。
おいいいぃいい!!!(笑)
返信削除